いま日本映画界を第一線で支える映画監督たちに8ミリ映画など自主映画時代について聞く好評シリーズ。特別編・蓮實重彦氏インタビューの3回目は、リチャード・フライシャー、ドン・シーゲルらもっと評価されるべき映画作家の話から、その影響を受けた黒沢清監督ら立教出身監督たちの出現の意義について語られる。(全4回の3回目/4回目に続く) 

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リチャード・フライシャー、ドン・シーゲル、もっと評価されべき作家たち

――黒沢さんはアクションシーンの演出として、カットを割ると説明的で観客はビックリしないから、ワンカットの中でとんでもないことをやったほうがいいと話されていましたが、それがドン・シーゲルのあっけないほど唐突にアクションが始まる演出と共通していると最近気づきました。リチャード・フライシャーを含めて、蓮實先生と共通して支持してきた監督の影響を感じます。

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蓮實 それはあると思います。しかし、いまだにフライシャーは世界的に認められてない。だから、ぜひフライシャーが途方もなくすごい映画作家だということを、アメリカ人に教えてやらなきゃいけない。この9月か10月に、ニューヨークのジャパンソサエティが「蓮實が選んだ20本」という映画祭をやってくれるので、そこでフライシャーを入れました。

©藍河兼一

――フライシャーは何が入っているんですか? 

蓮實 あれはなんていう映画でしたっけ。ああ、ジョーン・コリンズが大きなブランコに乗る『夢去りぬ』(1955)です。

――テレンス・マリックが真似した(『シン・レッド・ライン』1998)という映画ですよね。

蓮實 そうそう。

――このインタビューで同世代の自主映画監督にインタビューしていると、デビューから同時代的に注目して見続けてきた監督としてスピルバーグを挙げる方が多いです。先生が同時代的に見てきたのはドン・シーゲルとかですか。

蓮實 そうですね。ドン・シーゲル、リチャード・フライシャー、それからニコラス・レイです。これは高校から大学の1~2年にかけてのことですが、わたくしがどれほど『殺し屋ネルソン』を面白いと言い張っても、大学の仲間たちは見てもいないのに「そんな映画はくだらない」と切り捨てる。だから、わたくしはドン・シーゲルのために自分の生命を捧げるんだという気持ちで映画評論家になったといっても過言ではない。つい最近もドン・シーゲル論をおさめた書物なんぞを出版しているのですから、バカですね。もう50年、ドン・シーゲルと言いつづけているわけですから。