「なぜ批判しなきゃいけないんだろう」20代の編集部員の感覚

 塩田 入社したのが2002年だったんですが、当時はまだ事件が起こると、被害者の顔写真を入手しないとダメだったんですよ。だから新人記者はもう徹夜で地域を()いずり回るわけです。

 でも、被害者側の弁護士さんに「なんで写真がないとダメなんですか」と聞かれたら、言い返せないんですね。もちろん被害者の顔があれば多くの人に読んでもらえる、事件の抑止効果に繋がるなど、理屈はいくらでも言える。でも、僕自身、内心、写真がなくても記事は成り立つと思っていました。今では、顔写真は載らなくなりましたね。

 竹田 そうですね。最近は、事件発生直後、被害者側の弁護士さんから顔はもちろん名前も住所も出さないでほしいと申し入れがくるケースも増えています。

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 塩田 そういう潮目って、何によって変わるんでしょうね。何か一つポンと象徴的な出来事が起きて変わるのか。みんなの意識が少しずつ変化して、気がつけば変わっているのか。

 竹田 編集部には毎年、若い社員が入ってきます。20代の社員が多い職場ですから、自然と今の感覚にアップデートされていく面もあります。どうして人のことを批判しなきゃいけないんだろう、もっと前向きな記事を書きたいという記者が増えている気はします。取材する/しない、記事にする/しないの基準を教えてほしいと言われることもあります。

 塩田 マニュアルがほしいと? 明文化するのは難しいでしょうね。

構成のメモは何度も何度も書き直す ©文藝春秋

 竹田 難しいんです。マニュアル化はできませんね。結局、一つ一つの案件で、出来事の性質、取材対象者の社会的影響力、公益性とか、大げさですけど人間の尊厳といったことまで考えて、判断していくしかない。具体的なことは言いにくいですが、先ほどの女優さんの記事についても、第2弾をやる必要はあるのか、やらなくていいんじゃないか、という声がありました。直接、私にそういう意見を言ってくれる編集部員もいて、真剣に考えましたね。

 やる、やらないの判断もそうですし、取材で得た情報、たとえばLINEの内容をどこまで出すかも、悩みながら慎重に検討します。全部書けばいいというものではありませんから。

 塩田 わかります。事実だからといってすべてを明け透けにしていいはずはない。新聞社でも、事件の被害者を取材していると、被害者にとってマイナスの情報なんていくらでも出てくる。でも、それはよほど事件に関係した情報でなければ書きません。時々それを「忖度」だとか「報道しない自由」だとか揶揄(やゆ)されることもあるんだけれど、そこはAIじゃなくて人間が書いてるんだから、当然、考えますよね。