漢字が書けなくても社会人になれる
想像していた社会人って別に特別な人じゃなかった。仕事で色々な人に会うようになって思った。そう思えたのは留年を繰り返したからかもしれない。レールから外れるとレールを遠くから見ることができる。留年は人を強くする。だから思う。人。人。すごそうに見えても人。それ以上でも以下でもない。人だ。そこに違いはない。そう思っていたら全員がかわいく見えた。自分が上でも下でもない。みんな人だった。それだけだった。みんなも思ってほしい。楽になってほしい。全員。他人で。全員。人です。
漢字が書けなくても意外といける。僕は子供の頃から漢字を書くのが苦手だった。それは自分の名前や自分の家の住所ですら。たまに間違える。恥ずかしい。特に人に見られている状態だとなおさらだ。区役所などで急に「ここに名前と住所を書いてください」なんて言われたら、頭の中が急に真っ白になる。恥ずかしい。そんな経験があるから会社で行われる会議ではいつもホワイトボードから一番遠い席に座った。ペンから物理的に距離を取る。でもそれで何とかなった。基本的にパソコンで全てが完結する会社で本当によかった。
仕事終わりのビールが美味しいっていうのはよくわからなかった。だっていつ飲んだって美味しいから。仕事柄、勤務時間中にお酒を飲むことがある。どんな仕事だ。そういうときのほうが美味しい。時代はもう仕事終わりの一杯じゃない。勤務中の一杯にこそ幸せがある。
想像すらしていなかった。自分が仕事をしている姿を。想像すらしていなかった。自分が取引先に出向いて会議をしている姿を。想像すらしていなかった。自分が知らない人からかかってきた電話に出ている姿を。想像すらしていなかった。こんなにも漢字が書けないんだってことを。
働いて失ったもの。ない。
働いて得たもの。ない。
何も変わっていない。たぶん。そう願っている。
