本連載では旧作日本映画の魅力を書いてきたが、扱ってきたのは必ずしも、「どこからどう観ても名作」という作品ばかりではなかった。
とにかく、一九七〇年代前半までの日本映画は各社とも量産体制を続けており、ラインナップを埋めるためには一つ一つを丁寧に作る余裕はなかった。その結果としてある種のパターン化に陥るのは、致し方ないことでもある。
ただそれでも、撮影所が機能していた時代はキャストの魅力、スタッフの技術が当然のこととして充実していた。そのため、あまり力をかけたとは思えないような作品であっても、それなりのアベレージの内容になっている。
今回取り上げる『やくざ坊主』も、そんな一本だ。
勝新太郎が「飲む打つ買う」が大好きな暴れん坊の破戒僧を演じるという、いかにも勝のイメージにあてはめた作品といえる。この時期の勝は大映の企画が代り映えのしないものばかりな状況に不満を抱くようになっており、独立して思うままの映画作りを志すようになっていくが、まさにそんな勝の気持ちが理解できてしまうような役柄だ。
話自体も、至って普通。荒れ寺に流れついた主人公の竜全が、岡場所の利権をめぐるやくざの抗争に巻き込まれていく。そこに女郎や同心などが絡んで、最後は竜全の大立ち回りと強敵との決闘が待ち受ける――という、定番そのものの展開なのである。
ただ、それでも十分に満足できるエンターテインメントになっているのが、この時代の時代劇の凄いところ。
まず、荒れ寺のセットが素晴らしい。障子の汚れ具合、柱の傷つき具合、床の朽ち具合――その全てにおいて、ろくに管理されてこなかった経年劣化が画面の隅々までリアルに作り込まれており、どんな作品でも決して手抜きすることはない、大映京都スタッフたちの職人魂が感じられる。
また、脇役陣もステキだ。竜全の身の回りの世話をする小男役の多々良純と勝とのやり取りは楽しいし、小川眞由美や久保菜穂子のミステリアスな妖艶さは観客の目を惹きつける。用心棒役の成田三樹夫は相変わらずクールでカッコいいし、やくざの親分役の小松方正は気持ち悪いまでに厭らしい。それぞれに魅力的な面々がそれぞれの持ち分で力を発揮しているため、それだけでも大満足なのだ。
特に良いのが渡辺文雄。いつもなら極悪非道な悪役ばかりなのだが、今回は珍しく朴訥とした役を演じている。こういう芝居もするのか――と感心していると、最終的には「これぞ」という裏側が現われ、思わず「待ってました!」と声をかけたくなった。
